どちらかはっきりという考え方
読んだ論文の中に三読法と一読総合法について書かれていたものがあった。どちらがいいということでない。
— わたなべ#10 (@watakenken) 2020年4月15日
どちらもいいというわけでない。
どちらが目の前の児童の力になるか。
いろんな実践があって、1つ研究すると力になる。でも、盲目的に1つだけを武器にするのは危険。
野球にも言えるわけで、
— わたなべ#10 (@watakenken) 2020年4月15日
フライボール革命といえばフライボールに固執したり、
スラッターといえばスラッターに固執したり…。
それらはあくまで手段。
本当の目的は何かをとことん考えるべき。
アスリートにとっては筋トレだって目的でなく手段。
— わたなべ#10 (@watakenken) 2020年4月15日
そのトレーニングを取り入れることで、成績が上がったのかをオフに見つめなおさないといけない。
ただ、大抵トレーニングをしっかり勉強すれば成績は上がるわけですが。
二元論的に物事を見るようになると、目的と手段が入れ替わってるように物事を見てしまう悪い癖が自分にはある。
— わたなべ#10 (@watakenken) 2020年4月15日
物事は黒か白ではなく、どれくらいの割合で混ざっているのかと見てみることが大切。
コンテクスチュアルトレーニングー運動学習・運動制御理論に基づくトレーニングとリハビリテーション
- 作者:フラン・ボッシュ
- 発売日: 2019/12/13
- メディア: 単行本
時間がたっぷりある中で、
在宅にて勤務and自主トレを行っています。
こうして時間ができると、
普段意識が向かわなかったところに意識が
向くようになって、
検索していくうちに、
どんどん知識の幅が拡がってきている
自分に気づきました。
むしろ、人間の本来的な姿なのかとも
思うようになってくる。
普段、忙しいと毎日を過ごしていくと、
何も考えることなくルーティンのように
過ごすようになる。
そんな忙しさを理由に生きていくと、
徹底効率化を測るようになっていく。
その効率化を測った生き方の中では、
二元論的に物を見てしまう。
本来、世の中にはっきりとした
二元論的的な物の法が少ないというのに。
本来の物事の見方としては、
その物事の割合(程度)を見ることが
正しく理解するために必要だったと、
最近思うようになった。
トレーニングで例えると、
前までは、
野球をやるためならひたすら体重を重く、
ガチガチな筋肉質な肉体が有利だと
考えて、
めちゃくちゃ筋トレをしていました。
モビリティや身体操作も必要だと思ったけど、
筋肉があった方が有利だという考えも
あって、優先的に後回しにしていた。
しかし、筋トレをガンガンしてもパフォーマンスの向上にはいっさいつながらなかった。
筋トレかモビリティか
という二元論的な見かたの中で
筋トレを優先させたけど、
パフォーマンスの向上を目的に
考えれば、そのどちらも必要だということは
明らかでした。
はっきりどちらか一つという考え方は、
わかりやすく、明確になるけれど、
本来の世の中では、
個別最適解が必要だったんだと実感。
いろいろ、気づくことができる時間は
大切。
ただ、早く当たり前の日常を
取り戻したい。
この本がオススメ。